コラム№42 事件から学ぶ【東大前駅切りつけ事件】どうしたら防げるか考える
事件から学ぶ 東京メトロ東大前駅切りつけ事件
ここのところ、縁故関係のない人をいきなり襲う「拡大自殺」のような事件が増えているように思います。メディアで取り上げられるので多く見えるのかもしれませんが。
直近で起きた東大前切りつけ事件
43歳男性の容疑者は、『東大前で事件を起こし、教育熱心が度を過ぎると子どもが犯罪を起こすと世間の親に示したかった』などと動機を話したそうです。また自身の生活が立ちゆかなくなったことも言っていますね。
その後の供述で『教育熱心な親のせいで中学時代に不登校になって苦労した。世間の親たちに度が過ぎると子どもがグレて犯罪をおかすようになることを示したかった』とありますが・・・
これは「理不尽な事件」に入ります。
動機が不可解でまったく不当な理由をあげて自分を正当化しようとする、なんて無責任な、なんて非情な犯行でしょう。このようなことはあってはいけないことですね。
マスメディアのニュースでは事件だけを取り上げ、深く掘り下げることをやっていても一般には公開されません。今後未然に防ぐためには、この犯行に至るまでの生い立ちや取り巻く環境、経緯を心理分析的に解明して公開し、防げるものは防いでいくしくみ(システム)を考えていくことが政府には必要だと思います。もちろん、われわれ国民もいっしょに考えることで意識は変わりますね。
このページでは仮説として事件を分析してみましょう
あくまで仮説なので真実はわかりません。
まず誰でも赤ちゃんのときから犯行を考えているわけではありません。育っていくどこかで考えが歪んでしまったのでしょう。
この容疑者は『教育熱心な親のせいで』と言っています。真実はわかりませんが本人はそう感じていたのですね。ここからわかることは、容疑者にとって親は教育(進路・進学)のことで親は過干渉だったと推測できます。
さらに『親のせい』と言っているのは、その頃、自分の意見や考えは聞いてもらえなかった、ことが推測できます。何事も自分で納得して決めたことは「〇〇のせい」とは言いませんから。親の言いなりになって従ったとしても納得していなかったのでしょう。
不登校になったのは「親のせいだ」と言っているのですが、どんなに過干渉で子どもの話を聴かない親だったとしても、すべての子どもが不登校になるわけではありませんね。確かに不登校になるケースとしては多いかもしれませんが。
ということは、彼の生まれ持つ気質にも関係しているのかもしれません。不安が強く臆病であったかもしれません。言いたいことを言えない気の弱さのようなものを抱えていたのかもしれません。
あくまで推測ですが、このように生まれ持つ気質と育ちの環境と自分の思い込みで人格はつくられていきます。ほかにも友達との関係はどうだったか?ほかに頼れる親族はいなかったのか?犯罪をする原因や要因はいくつもの因子が重なったときに発動します。
いつもこのような事件が起こるたびに、私は思うのです、「誰も赤ちゃんのときから犯行を起こす人はいないのだから、成長過程のどこかで救えないものかと」
未然に防ぐには幼児期から
ここからは私の勝手な理想になりますが、国の政策として、たとえば
①乳幼児~幼児期にかけて、公的な保健所などで子どもの気質(何に敏感か鈍感か、内向的か外向的か、など)を分析する。②そのデータをもとに養育に携わる者が子どもの気質や特性にあった接し方、対応の仕方を公的な機関で学ぶ。③学んだあとの実践は個別にサポートする人(公的に)がついてケアする。親や養育者を育てるシステムをつくる。
④学校に入ったら教師と教師以外の公的な人が心理のサポートにつく。たとえば1人が児童3人を担当するなど。そこでかなり課題の大きい子ども、または親子には1対1のサポートがつく。サポートする人は連携して交代もありで負担を少なくする。
⑤健全に育っていけそうなケースは5~7人に1人の担当者がつき見守っていく。問題が起きたら早めの連携した対応で解決する。
①~⑤のシステムで思春期を乗り越えるくらいまで親だけでなく他人からも愛情を注いでいく。安心安全なこころの居場所をつくる。
こうして健全なおとなに育てていく。子どもは社会の子です。核家族、少子化、親の人生もある、この中で健全なおとなにしていくには「社会のみんなで育てるしくみ」をつくることだと思います。誰も加害者にしない。被害者を出さない。そういう世の中にしませんか。
人は思いやりのある温かい環境で「大切な存在」として人格を認められれば、99.9%くらいの人は自己受容ができて自分の存在を自分が認められるようになると思うのです。すると、自分を大切にできるので他者をも大切にできます。犯罪はかなり防げると思います。
※関連動画